少年と自転車 ◆ Le Gamin au velo [いんぷれっしょん]
「大人とは、歳をとった子どものことだ。年齢を重ねても、自分が歳をとったと感じることはない。ほんの少し若いときより賢く、自信を持っているだけだ。」少し前にウェブで拾った、ある父親が息子に宛てたメッセージの中の一部だ。男の成長について簡潔且つ的確に表現されていて、なるほど至言である。
私には、間もなく成人する歳になる息子がいる。そして、自分は少年時代を経て、今は大人の男として日々を送っている。だからこの作品、薄幸な少年を見つめるような作風に強い親近感を抱き、とても惹かれる。
名匠ダルデンヌ兄弟が、日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで耳にした「育児放棄された子ども」の話に着想を得て作り上げた作品とのこと。 物語のテーマを俯瞰してみると、父親に見捨てられ、養護施設で暮らす主人公の少年シリル。偶然出会った女性サマンサが里親になることによって癒され、心の成長を遂げていく様子を、いくつかのエピソードと日常的セリフを積み重ねながら、説明的な言葉やシーンを用いることなく描いているいうというころか。暗喩を味わうべき作品と言い換えられるかもしれない。
他のどの作品にも似ていない、とてもオリジナリティーに富んでいる。まず最初に印象的なのが カメラのフレーミングだ。背景や風景を極力省略して、手持ち撮影による人物のクローズアップを多用。時には人物、特に主人公シリルがフレームからはみ出すような撮り方は、観客が彼に向ける目線のような感覚。カメラと人物の距離が客観性と比例するのであれば、その距離感は登場人物に対してかなり近く、寄り添うような感覚で彼らの周囲に起きる出来事を体感していくという印象だ。無垢で傷つきやすい年頃の男の子へ、思わず手を差し伸べたくなる距離感が絶妙である。
映画的省略という観点で見ると、もう一点特徴的なのが登場する人物への説明だ。主人公父子の家庭環境や、母親の存在については一切触れられない。父が子に告げる決定的決別の言葉。「いっしょには暮らせない、ホームへ戻るんだ。」身勝手な言葉の理由もほとんど語られず、やるせない余韻だけが残り観客の想像力をかき立てる演出には感嘆する。シリルとサマンサとの出逢いから、里親役を引き受ける一連の流れについても同様。人物の心の動きは、見る者のイマジネーションにゆだねられているのだ。
逆に、非常に解りやすい演出も用意されている。劇中、音楽はほぼ皆無だが、ベートーベンピアノコンチェルトが唐突に四回短く流れる部分がある。それはシリルの中でエポックが起きたとき、まず最初、父親との連絡が取れなくなり、ふてくされた彼がシーツにくるまり外界を拒否する態度を取るとき、次に、父に決別の言葉を告げられ、里親サマンサの車の中で強烈な自傷行為に至る場面、三回目は、街の不良少年に誘われて夜の外出をしようとし、咎められたサマンサに抵抗し、傷つけてしまう場面。そしてエンディングだ。 それぞれ場面転換も伴っているので、強いアクセント感が伝わってくる。
身勝手な父親と、無償の愛を注ぐサマンサが対比されながら、必要な時間と過程を経てやがて二人は家族になる。物語の後半、陽光の中自転車で併走する二人。やがて、そのスピードの差に気づき、大人用の自転車に交換してくれと頼むシリル。父から買い与えてもらった愛用の子供サイズMBを、別のものに乗り換えるという行為は、自分を捨てた父との決別であり、大人への階段を一段上ったことの象徴とも受け止められる。そして、続くランチのシークエンスで、二人の心が完全に溶け合っているのを見る。最も明るく暖かい部分だ。
しかし、ここでハッピーエンディングにならず、もう一山用意されている。最後の事件と、エンドシークエンスで描かれるシリルの姿に、彼の成長の跡が象徴されている。過去の罪に対し、「おとしまえ」を付け、本物の男として一歩踏み出すのだ。頼まれた買い物を抱いて、サマンサの元に走る彼が、この後、サマンサに対して語るであろう言葉については、観客全員が同じ想像をするはずだ。そして、その言葉を受け入れる「母親」の姿にも。
2012/4/26 シネマ ジャック&ベティにて
ダルデンヌ兄弟作品
素敵な劇場その4 [愛の劇場]
割と良く足を運ぶ劇場のなかで、最もゴージャスな設備を備えたところです。国内最大手のシネコンTOHOシネマズ。横浜の郊外にあるショッピング施設「ららぽーと」の中にあり、プレミアスクリーン1を含め13のスクリーン数を誇る、大型シアターです。
スクリーンが13もあるせいか、比較的地味な作品もひとつくらいは取り上げてくれるのが、愛用している理由のひとつ。
各種割引きや、鑑賞ポイント、シネマイレージといった付加価値サービスも充実。 昨年の震災後、長らく休業していましたが、 めでたく復活。クルマでしか行きにくい場所にあって、平日は何時間駐車してもタダというのがありがたいですね。
昼下がり、ローマの恋 ◆ Manuale d'am3re [いんぷれっしょん]
生まれてから半世紀ほど過ぎると、世間的には所謂熟年あるいは中高年などとくくられるようになってくる。社会的にはそこそこ責任ある立場に置かれ、 山のような仕事に追われる毎日、身の回りにおいては、夫婦間には微妙なすきま風が吹いたり、子供がいれば進学や就職の心配などする時期かもしれない。日々伝わる国内外の情勢などにもほどほど精通し、頼りない政府に憤ったり、一向に回復しない景気の動向や、社会常識に欠ける若者への憂いを抱いたり、そして最も気になるのは、間近に迫る老後に向けた我が身の行く末だろうか? つまるところ、あれこれ心配事や解決が迫られる目前の課題なども多く、結構忙しい毎日なのである。
だから、男女の色恋ごとなどにはうつつを抜かしている場合ではなく、けだるい午後に繰り広げられるメロドラマの世界などは、およそ縁がないだろうというのが、ニッポンの正しきオヤジの姿と固く信じて疑わなかった。まあ、その辺の心根には、要するに恋は素敵だが、既にそこの当事者たれない立場に追いやられて久しくなった悔しさとやっかみが多分に含まれているのはご推察の通りなのだが・・ そんなオヤジがちらりと目にした予告編、名優デ・ニーロとイタリアの宝石モニカ・ベルッチの共演という売りに目がくらみ、劇場へと向かうことに相成った。
「イタリア的、恋愛マニュアル」から続くシリーズものの第三作だそうで、そのあたりの事情もまったく知らず。おまけに、3話のオムニバ スだったことも、始まってから気づいた。よくあるパターンとはいえ、今回も告知に騙されデ・ニーロとべルッチ主演の長編と思いこんでいた。第1話「青年の恋」、第2話「中年の恋」、第3話「熟年の恋」、yahooやGoogleで翻訳しても埒があかないが、原題「Manuale d'am3re」も、この三話で作られているよといったことを意味しているのだろう。
さてその内容はというと、第一話目は、結婚間近の若い弁護士が、仕事で訪れたトスカーナでやんちゃな美女と出会い、あっという間に燃え上がってしまうという、いかにもイタリア的なお話。ミコルという人妻を演じたラウラ・キアッティという女優が、やたらに色っぽく且つチャーミングで、陽光降り注ぐトスカーナの町並みや自然の風景とマッチして、とても目の保養になった。
第二話目、人気テレビキャスターである中年オヤジが、イカれた美女の誘惑に乗って手ひどい目に遭うという、これが一番コメディだったな。キャスター、ファビオ役のカルロ・ヴェルドーネというおっさん役者の困惑ぶりがやたらに可笑しく、しゃべりながら繰り出すイタリア人独特(詳しくは知らないが多分そうなのだ)のフィンガーアクションが笑える。 しかし、情事の模様を隠し撮りされ、ネットに流すぞという脅迫は確かに怖い・・・ご同輩諸氏で渦中にいらっしゃる方はお気をつけをと申し上げておこう。
そして、件の名優と宝石が共演するのが第三話、大病を克服した歴史学者であるデ・ニーロが、親友の娘と恋に落ちるという羨むべきお話。そのお相手がベルッチという訳だ。父娘ほどの年の差を超えて、絶世の美女をモノにする役には名優も楽しそうで、力の入らない演技にもそれなりに好感が持てる。宝石美女については相変わらずで、女優として演ずるところについて、コメントすべき点は無く、相変わらずお綺麗ですね・・とだけ申し上げておこう。実年齢より随分若い役柄だが、それを感じさせない美貌と妖艶さには舌を巻くが、男性には当然期待されるシーン、今回はちらっとだけなのでややがっかり。
三話ともヒジョーに魅力的な女性が登場し男を虜にするのだが、その女達がそれぞれ秘密を持っていて、それが明かされることで話が転がっていくというシンプルな構成、大したひねりもないので、あっという間に結末を迎えるところも有閑昼下がりの時間潰しにはもってこい・・。主役の男達と我が身を重ねるか、あるいは傍観者として笑い飛ばすかはそれぞれご自由。全体の流れからは、オヤジが元気になれそうな空気が残るので、恋ゴコロによって分泌されるという脳内快感物質を今一度湧き起こしたいと思える気になったりするかも。でもやはり、これから当分の間近づかないジャンルだろうなぁ~。
2012/4/12 シネマ ジャック&ベティ にて
ピープルvsジョージ・ルーカス ◆ THE PEOPLE VS GEORGE LUCAS [いんぷれっしょん]
言わずと知れた、映画史上最も高い人気を誇るシリーズ「スターウォーズ」。その熱狂的ファン達が、制作者ジョージ・ルーカスへの愛憎入り交じる議論をひたすら投げかけるという、偏狭的ドキュメンタリー。スターウォーズ本編の映像は全く使われず、ファン達が作ったビデオ映像や、取材映像などを中心にした、言わばYoutubeに代表されるネット動画時代の自主製作映画という趣だ。
従って、スターウォーズ作品およびその周辺に際限なく広がり続ける派生ワールドについて、ご興味の無い方々は本作を見るべきではないし、この感想文をお読みになる必要はありません。
かく申す私も、洗礼を受けた一人。第1作の公開は1978年7月、当時高校三年生で公立高校の運動部を引退目前、そろそろ受験モードに入ろうかという頃だった。公開時に劇場に行かれた方は共通の体験をされていると思うので詳細には書かないが、あの時見せられた映像はティーンエイジャーの男にとって衝撃以外の何ものでもなく、一瞬で魂を奪われたのはファン全員の共通体験のはずだ。 当初は全9部作として発表され、4年おき順次公開される予定だという話。つまり自分 が40歳代になるまで新作を見続けられるという、夢のような期待感、しかしエピソード6公開時には、あっさり否定され奈落の底に落されたのも周知なのだが・・。 本作に登場するコメンテーター達もトリロジーの三部作については、ほぼ同様の感想を述べている。「最高だった!」「信じられない体験だった!」「人生が変 わってしまった!」等々等々。ひたすら熱く発せられる賛辞には只々頷くのみ。
しかしながら、熱狂的ファン達は、やがて神にも等しい制作者 ルーカスに対して手厳い批判を浴びせ始める。それは、特別編の公開以降勃発し、新三部作(Ⅰ~Ⅲ)へのぬぐい去りがたい拒否反応でピークに達する。 また、エピソード6.5とも位置づけられるはずのテレビドラマ「スターウォーズ ホリデースペシャル」に至っては、もはや嘲笑の対象にさえ・・。なぜそのような失望や批判、場合によっては憎しみの感情までも招いてしまったのか?そのあたりの答えはファンなら知っておくべきかも知れない。
あんなに素晴らしい映画作品を生み出した希有なクリエーターが、どうして変節してしまったのか? 歴史的にも価値があるはずのオリジナルをルーカスはなぜ改変しようとするのか?作り手の意思と、観客の期待がいつからずれてしまったのか? 映画作品の成功以上に革命的と言われる関連商品のマーチャンダイジング。ファンの忠誠を手玉にとるような手法による、グッズやディスクの新バージョン発売攻勢への苦言等々・・いやはや凄い。 トリロジーとプリークェルの間の中断を含め、何十年もスターウォーズとかかわってきたファンの存在は制作者と同等か、あるいは思い入れに於いては既に凌駕しているのだ。
映画作品において、観客の共感が得られるか否かが決まる物差しには、受け手側の情動がいかに高まるか、あるいは臨場感、世界感をどれだけ刺激し豊かにできるかといった要素が多分にあると思う。そして、それがドキュメンタリーであるならば、含まれる情報の量とその濃さも要素に含まれるかもしれない。だとすると、本作ほど、それらを満たしているドキュメンタリー作品は無いのではなかろうか?
そもそも、ファンによるファンのための映画、ファン以外の目に触れることを想定していない「部外者立ち入り厳禁作品」と称してもいいかも知れないものが、興行として成立すること自体が普通ではない。そして、それを実現し、常に裾を支える膨大な数のファンと、広がり続けてとどまるところを知らないスターウォーズワールドは、20世紀から21世紀の初頭にかけての時代が産んだ、偉大なる文化のひとつと考えて間違いないだろう。そんなことを、今更ながらあらためて認識したひととき、画面に登場した愛すべきファンの皆さんへの強い共感と共に。そしてやはり待ちわびるのは、エピソードⅦの制作と公開。
May the force be with us.
2012/04/05 横浜ニューテアトルにて
フィギュアはほとんどありません。
灼熱の魂 ◆ Incendies [いんぷれっしょん]

超重量級のドラマです。これからご覧になる方は心してスクリーンに向かってください。
本国カナダでのアカデミー賞に当たるジニー賞で8部門を受賞し、米国アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされたという作品。それは、現代平和日本に暮らす私達には想像さえし得ない過酷な人生を送った、ある女性の半生と、その子供達の出生の秘密を描いた驚きの物語だった。それはまるでギリシャ悲劇のように・・。
物語の主人公である、不可解な死を遂げた母ナワル・マルワンが、双子の姉弟ジャンヌとシモンに残した謎の遺言。それは二人が存在さえ知らなかった兄と、死んだと思われていた、まだ見ぬ父へ宛てた手紙を渡してほしいというものだった。母の愛を受けることなく育ったと思いこんでいる弟は拒絶するが、姉娘は母の足跡を辿る謎解きの旅に出る。 ミステリータッチの物語が、その構成によって、母の生まれ育った故郷で起きた惨禍と、巻き込まれ翻弄された女の過酷な半生を明らかにしていくという手法だ。
娘ジャンヌの父親探しの旅にオーバーラップして、やがて見えてくる母の封印された過去、辺境の村に住み、キリスト教徒でありながらイスラムの男を愛し、祝福されない子を産み辿った茨の道。引き離され生き別れになった我が子を探す中、変節し闘士としてテロに身を投じ、暗殺者の道へ。 投獄され過酷な拷問を受けながらも毅然と耐え「歌う女」と称されたナワルの身に起きた悲劇とは・・。答えを求め、もつれた糸をほぐすように、ひとつひとつの謎を明らかにしていく過程は、一瞬たりとも目が離せないが、それは推理ものにあるような謎解きの楽しみなどはかけらもなく、突きつけられることすべてが重く痛い。
母の故郷、特定の国名を明らかにしているわけではないが、中東の歴史を紐解くとそのモデルは透けて見えてくる。 大国の影響下で成立した人工的な国、本来あるべき姿でないまま存続することで歪みが生まれ、周囲の紛争の火の粉を被る形でやがて始まる内戦。宗教対立、難民問題、テロリズム、社会の不寛容など、極東の島国に住む私達には、ニュースネタとしてか実感できない背景描写は、それだけで十分に問題提起として成立している。破壊し尽くされた街、戦火を逃れて逃げまどう人の波、町中で容赦なく撃ち殺される少年達。乾いた砂漠の国々に何時終わるともなく生まれ続けるであろう景色は、ニュース映像よりリアルに迫る。人々の住む市街が主戦場になる内戦は、最も悲惨な戦闘の結果を残すということに、あらためて気づく設定でもある。
しかしながら本作は、反戦プロパガンダ映画としてより、更に一歩も二歩も踏みこんで見せる。内戦のただ中で、子を産む機能を有する女として生きる困難、産み落とした子を育て慈しむことを本能として有する母であることの喜び、そして、その喜びを奪われれて生き続けねばならない悲劇、それらが絡み合ってナワルの動機として描かれる。作品中重要な場面で何度か用いられるプールと水中撮影は、母体内の浮遊感と羊水のメタファーであろう。生命の源、環の中心にいながら、人と人とが、民族と民族とが、宗教と宗教とが争い続ける中で、常に翻弄される女性という存在が、いかなるものかという現実に目を向けざるを得ないのだ。
物語の後半、ジャンヌがたどり着いた「歌う女」の真実。弟が呼ばれ、「父」と「兄」の正体が明らかになる時、そのおそるべき真相の前に、この姉弟と共に私たち観客も、完膚無きまで打ちのめされることになる。 1+1が1 あり得ない数式、その答えを知るとき聞く姉の叫びは、誰もが言葉を失うに違いない。
遂に手渡される二通の手紙、^明らかになるその内容を聞きながら、物語のはじめに語られた母の死の真相と、手紙に託された、ナワルの女として、母としての心の内を、私達は聴く。一度は憎しみの連鎖に身を置いた闘士が、地獄の火に焼かれながらもたどり着いた高み、これほどに大きな愛と赦しに満ちた言葉を私は知らない。すべてが収れんする見事な結末に打たれ、暫し席を立つことさえ容易では無かった。
双子 ナワル ニハド デレッサ クファリアット アブ・タレク サルワンとジャナーン シャムセディン 8つの章に分かれた構成は、オリジナルが舞台用に書かれた戯曲であり、フィクションだという。 そうだ、こんな悲劇は想像の産物であって欲しい、そう願いながらも、久々に見た最上級のフィクションの力に酔う満足感にも満たされた。 間違いなく今年のベスト候補だ。
2012/03/22 川崎市アートシアターアルテリオ映像館にて
エンディングノート [いんぷれっしょん]
静かな話題作を見てきた。実在した砂田知昭さんという方が、定年退職後間もなく癌を患い、亡くなるまでのご自身に残された時間をどう過ごし、遺族や知人友人に対して何を残し、託していったかと言う過程を映像としてまとめた珍しい作品だ。そして、それを撮影し仕上げたのは、実の娘であり、本作監督の砂田麻美さんだ。
結論から言えば、とても暖かい気持ちになれる素敵な作品だった。現代日本人の平均からいえばかなり若い部類に入る67歳での死、ご本人が思い描いていたであろう定年後の第二の人生を、ほとんど楽しむことなく不治を宣告されるとは、さぞや無念であろうことは想像に難くないが、映像に残る砂田さんの姿はそのような悲壮感は微塵もない。とても冷静で知的、そして常にユーモアを忘れないおちゃめなお父さんだ。
劇中のナレーションは、娘である砂田監督自身が亡き父知昭さんに代わって語るという形式をとっている。 ビデオ映像に残るご本人が語る言葉と、心中を語る娘の声が良い具合にバランスされているのだが、どちらにも常に独特のユーモアがあり、弱っていく外見とは相容れないギャップが、悲壮感を遠ざけているのだ。
慶応大学経済学部卒、東京丸の内に本社を構える化学企業を支え、重役にまで上り詰めたモーレツサラリーマンだった砂田さん。 ポスターの写真は、まだ現役会社役員で、バリバリの時期のものだ。恰幅が良くて明朗快活、仕事への自信に満ち溢れている姿は、戦後日本の高度成長を駆け抜けた働きマンの姿そのものだ。多分この頃の砂田さんの日常は、ご自身の仕事が何よりも優先、営業畑一筋のキャリアに強烈な自負を持ち、会社への貢献度と自身の存在意義がパラレルという、「プロジェクトX・地上の星」な男だったんだろう。 病気療養中の医師との会話や、葬儀を託したい神父との会話にも頻繁に登場する「私事(わたくしごと)で恐縮ですが」という言葉、会社人は自分の主義主張や欲求、ましてや家族のことなどは二の次三の次が当然。全身全霊を会社と仕事に捧げて突っ走ってきたに違いない。 だが、それはややもすると家庭・家族を顧みない、家では影の薄い典型的昭和のお父さん像だったかも知れない。
そんな働きマンが仕事をリタイアし、家庭人として歩み出した新たな人生は、当初実はぎこちないものだったらしい。しかし、幾つかの山や谷を超えて穏やかに進み出した日々に突然降る癌宣告。そして図らずもここから始まった終活、砂田さんが最後に自身に課したTodoリストは、ご本人の言葉を借りれば「段取りの命」の通り、水をも漏らさぬ人生の最後を締めくくるにふさわしいものだ。しかしその内容は、かつてすべてを捧げた会社とのかかわりや、自身の業績について総括しようというものではなく、もしかしたら、長い間ないがしろにしてきたかもしれない、家族との時間を主にしたものであり、過去の価値観とは違う終末を望む内容だった。
病状が悪化し、間もなく死期が迫ろうという頃、砂田さんは最愛の孫にお別れを言う。そして病床で妻に最後の感謝の言葉を伝える。この時代を駆け抜けた多くの夫婦がそうだったように、仕事命亭主と、家に残された妻。価値観のすれ違いを抱えて連れ添い続けた夫婦のもつれが一気に解ける。 この瞬間に溢れる出る言葉と涙は何より美しかった。そして、実の娘とはいえ、夫婦以外が立ち会うことなどあり得ない尊い場面を作品に収めた麻美監督に拍手を贈りたい 。
笑いと涙をごちゃ混ぜにして物語は終わりに近づく。生前の希望通りに葬儀が営まれ、砂田さんの残したエンディングノートが披露される。いつか必ず訪れる家族や友人との別れ、送る側も送られる側も避けられないことであるなら、この先輩が残してくれた素敵なメッセージから教わることは多そうだ。
実の父というスーパースターをモチーフに、素晴らしい作品を撮り、編集もこなした砂田麻美監督。手持ちのハンディビデオカメラ映像がほとんどを占めるドキュメンタリータッチだが、ひとつの完成されたエンターテインメント映画作品にまで昇華させた手腕は見事。プロの演技者を使って撮る次回作に真価が問われるだろう。大いに期待したい。
オマケ=少し前The Bucket Listという米国作品がありました。同じようなテーマを扱ったものですが、どちらに共感するか比べて見るのも一興かもしれませんね。
2012/03/15 川崎市アートセンターアルテリオ映像館にて
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おとなのけんか ◆ Carnage [いんぷれっしょん]
女A、著作経験のある文化系人権主義者 、芸術などへの感心も高く、家庭を大事にするナチュラル指向。 男A、女Aの夫、金物を扱う個人商店のオーナー、フランクでおおらか、ややいい加減な典型的20世紀タイプのアメリカ男子。多分ニューヨークジェッツかヤンキースが三度の飯よりスキ。女B,投資ブローカー、クールで知性と常識を備えたキャリア女性、子育てや家事に忙殺され仕事に打ち込めないことへのフラストレーションを抱える。男B、女Bの夫、企業弁護士、仕事柄当然合理主義者、目線が高いのは生まれつきの性分か職業がそうさせるのか、デリカシーにやや欠け皮肉屋の一面も。
注)人物像描写は筆者の主観による
上映時間80分弱という短い作品に登場するのは、ほぼこの男女4名のみ。シチュエーションも男女Aの住むアパートメントとその玄関先だけという、限定された空間。 これはどう見ても舞台劇だなと思っていたら、やはりフランスの女性作家ヤスミナ・レザと言う人の戯曲『大人は、かく戦えり』を映画化したものだとのこと。
子供同士のケンカに収拾をつけるために集まった4人の親たちが、良識ある大人として冷静に話し合って円満解決を目指したはずが、何時のまにやら口論が始まり気がつけば激烈バトルに突入していくというお話。女Aペネロピ・ロングストリーを演じるのが ジョディ・フォスター、その夫マイケルがジョン・C・ライリー。女Aナンシー・カウワンを演じるのがケイト・ウィンスレット、その夫弁護士アランがクリストフ・ヴァルツ。チラシの組み合わせ通り、絵柄もシンプル。
発端は11歳の同級生同士が起こした子供のケンカなのだが、加害者と被害者という構図があるから話がややこしくなる。加害者側がB夫婦、被害者側がA夫婦、さらに面倒くさい方向に進む原因は、冒頭に書いたとおり社会的ステータスはどうやら加害者Aファミリーのほうが高そうで、被害者である庶民クラスの家族としては、賠償してもらえばいいってもんじゃないでしょ?という気持ちがあるから一筋縄でいかなくなる。互いの家族に対する不信感を背景に、ちょっとした会話の端々からカチンと来るのが積み重なり、口論に火が付いてしまうのだ。
オリジナルが舞台劇というだけあって、お話はタイムラインに沿って進むので、それぞれの心情が変化するのをリアルタイムに観察していくことになる。曲折が深まるタイミングがいくつか用意されていて、例えばマイケルが子供の飼っていたハムスターを捨てる話だとか、会話の最中アランのブラックベリーに掛かってくる、いかにもぶしつけ唐突な訴訟がらみの電話だとかがきっかけになり、あららそりゃまずいでしょ・・と思う間もなく、他の面子(特にレディーのお二人)のこめかみにぴくっと青筋が立つのが手に取るように解るから、外野としてはおかしさが余計につのる。
後半は酒の勢いも加わって、四人の怒りの対象が次第に本筋からずれて来る。図らずもそれぞれ夫婦間の不満が爆発したり、男女の価値観差から生ずる諍いにすり替わったりすることで、男同士女同士が妙なシンパシーを抱いたりと、対立の相関図にも変化が出てくるあたりのはちゃめちゃさ加減はとても笑える。理性の箍(たが)が外れると、大人といえども大人げない態度になるとはこういうことですよ。今は誰と誰が味方なんろうなどと、その都度セリフから読み取る確認作業にも忙しくなる。
いったいどこで落すのだろうといささか心配になってくる頃、あたかもバトル終了ゴングのように鳴り響く着信音、きちんと飲み込める結末が用意され、脚本のセンスの良さに舌を巻いていると、エンドロールでもっとシニカルな答えを見せて来るから作り手も人が悪い。
ちょっとだけ難を申せば、イマドキのアメリカ人同士の口げんかだったら、多分お互いに言いたいことを止めどなく言い合って、相手のセリフには耳を貸さないという演出が普通だと思うが、今作は舞台風を貫くことで、誰かの長ゼリフの間、他の三人が手持ちぶさたで控えている・・というシーンが目立った。リアリズムとは一線を画すということかも知れないが、普段演劇に馴染まない者には、やや違和感として写ってしまったのが残念。
そうはいっても、画面に登場しない人物像を想像させる脚本や、議論から口論、次第にバトルにエスカレートするテンポの良さ、膨大なセリフ量で組まれた会話劇の楽しさは字幕からも十分味わえたし、何と言っても役者達が素晴らしい。特に苛つき演技には定評のある女優二人、涙を浮かべて悔しさを絞り出すようなフォスターのセリフ、たまりに溜まった不満を一気に吐き出すがごとく、映画史上に残ると思われる見事なゲロを吐いたウィンスレットには何かの映画賞を差し上げたい。それにしても惜しむらくは、我が身が米語を操れないこと。ネイティブでセリフが解る方にはもっと楽しめただろうと思うと、今までの不勉強を呪うばかり。
Carnage=[名][U]1 大量殺りく, 大虐殺 a scene of carnage(戦場などの)修羅(しゅら)場
2012/03/8 TOHOシネマズららぽーと横浜
有名作品多数ポランスキー監督作品群
ヤング≒アダルト ◆ YOUNG ADULT [いんぷれっしょん]
「JUNO/ジュノ」の脚本家と監督が、また、強力なキャラクターを世に送り出した。
メイビス・ゲイリー37歳でバツイチ、現在特定の恋人ナシ、美貌の作家だが、実はゴーストライター。ティーンエイジャー向けのヤングアダルト小説を執筆し、ヒット作も持ち都会ミネアポリスの高層アパートで暮らすが、いつしか人気は凋落して小説の打ち切りが決まり、さえない日々を送っていた。ある日ハイスクール時代の元恋人バディから子供の誕生を知らせるメールが届き、一人勝手に燃え上がってしまう。なぜか自分こそがバディに相応しいはずと思いこみ、元カレを取り戻そうと故郷を訪れるのだった・・・
人もうらやむような美貌の持ち主は、往々にしてこのような人格を作り出すのか?生まれてこの方、その容姿を褒められることはあっても、表だって蔑まれる経験はゼロ。常にちやほやされ、言い寄る男は数知れず、世の中自分を中心に回っていると考えているとしか思えない女王様タイプ。ずっと見下していた周りの人間が、幸福になるのが許せない、。コメディとカテゴリー分けされてはいても、ポスターのキャッチのとおり、あなたはワタシを笑えない・・のである。
このメイビスを演じたのが、ハリウッドにおいても、いまだ最上級の美貌を誇るシャーリーズ・セロン、その役作りはコワイくらいにはまっている。夜な夜な男を漁り、酒に溺れ、半ばアル中気味、毎朝ゾンビのように目覚め、キティちゃんのTシャツを纏ってダイエットコークをラッパ飲みする。その表情は生活をなぞるがごとくただれ切っていて、それは画に描いたような孤独な都会オンナの姿だ。やがて、ティーンの頃ハマったご機嫌なロックビートをお供に、愛しのバディを奪うため故郷の田舎町を目指す。 さあ、アタック開始!決戦の舞台へ赴く前には、気合いの入ったメイクとエステでピカピカに磨き上げ、やる気満々の勝負服に身を包み、浮かべるスマイルは10万ワットの輝き、凄い凄すぎる。
なぜこのような勘違い女が出来上がってしまったかという背景には、作品タイトルや、彼女の執筆するティーンエイジャー向け小説のカテゴリーに象徴される、心の成長を止めてしまった、あるいは成長できないまま大人になってしまうヒトビトが往々にして生息するからだろうとは容易に推測される。故郷滞在中に執筆している小説に、傍らで会話するティーンの会話をすっと挿入してしまう感覚が、メイビスの精神年齢を象徴しているのだろう。
彼女の無茶な計画は成就するはずもなく、楽しいはずのベイビー名付けパーティをブチ壊すことでめでたく破綻し、女王様も深く傷つく。そんな彼女を癒すのが、ハイスクールでは最下層に置かれていた冴えない男マットとその妹。過去に受けたイジメにのよる暴行の後遺症で、下半身が不自由というハンデを受け入れて生きる男と、メイビスに憧れ続けた田舎娘。ややショッキングなベッドシーンと、その翌朝女二人が交わす会話によって、失意の女王様も新たな一歩を踏み出すのだ。執筆する小説の主人公の言葉を借りて告げられる、彼女自身の決意表明をどう受け止めるか、とてもあっさりしていながら、見る側が試されるエンディングでもある。
セロンは、オスカーに輝いた「モンスター」をはじめ、出演作のチョイスが面白いタイプの女優と見ている、上演前の予告で見ると、キレた女王様の次は「白雪姫」の魔法の鏡を使う母親(継母?)王女役とか。さあ、どんな冷酷女を演じてくれるのか?今作で見せてくれたヌーブラ下着姿にも増して興味が高まる?(笑)
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人生はビギナーズ ◆ Beginners [いんぷれっしょん]
鑑賞した映画作品を好きになるかどうかという基準はどうやって決まるのだろう。劇場のシートに座りながらぐいぐい引き込まれるようなものは当然とすれば、あとで反芻し、自分の価値判断や趣味に照らして、作品の出来映え評価や好みとのマッチングなどをしながら、心の中のライブラリーのどこにしまうかを考えるという手順を経るのものもあるかもしれない。 映画を沢山見ている方には、良い作品だと思うけどキライとか、逆に駄作だけどスキというひねられた感情が交ざることもあるが、大概は「楽しめた」イコール「スキ」という評価が下されることが多いのではないだろうか。
マルチなクリエーター、マイク・ミルズ監督が、自身と父との体験を基に映画化したという私小説的なこの作品を、私はとても気に入っている。かなり好きな・と表しても良いかもしれない。しかし、それはストーリーの進行と共に沸き上がってきた気持ちというより、見終えた後に少し時間をおいてから気づくという感じ、ほのかなユーモアが漂い、全体にとても柔らかく作られ、暖かみに満ちあふれた作風は、じわじわっと心に浸みてくるサプリメントのような印象だった。
主人公のオリヴァー(ユアン・マクレガー)は母の死後、高齢の父ハル(クリストファー・プラマー)から自分がゲイであることを告げられる。過去に結婚に失敗し、内向きな性格も手伝って、暗めの人生を送っていたオリヴァーにとっては晴天の霹靂だが、そんな息子のとまどいをよそに、既に病に犯され、余命が短いことを知りながら、残った人生を謳歌していく父親。母親の生前抱いていた頃の印象とはまったく違う人生に踏み出す父の姿に影響を受け、自分の殻を破ろうと踏み出す彼に、厳しくも訪れた父との別れ、再び落ち込みがちな彼の前に現れたのは、風変わりな美女アナ(メラニー・ロラン)、一種似た者同士の二人はすぐに距離を縮めるが・・・。
何と言っても、主な登場人物三人の演技者プラス犬のアーサーが素晴らしい。 クリストファー・プラマーは、自身の余命を知りながら、新しい生き方に突き進むチャーミングな老人を見事に演じ、ユアン・マクレガーは、人生に悩みなが ら、父の最期を共に歩み、死後再び心を閉ざす息子を好演し、メラニー・ロランが演じる、そんな悩める恋人に寄り添う不思議な魅力を持つ女性像はとてもエキゾチックで魅力的だ。 そして、オリヴァーが引き取った父の飼い犬、愛くるしいテリアのアーサーが時折投げかけてくる(人の言葉で!)シニカルなフレーズのセンスは抜群!
作品全体は短めカットにより組み立てられ、時系列を行き来し、まるで主人公の記憶の断片を見ているような作りだ。現在進行中のアナとの関係、そこには息子に対して送られるアドバイスのように、父の生前の記憶が挟まる。やがて、父の死期が迫るのと対照的に、息子には喪失感から解放され、新たな一歩を踏み出す時がやってくるという、それは緻密に計算された見事な構成でありながら、プライベートビデオを見るような感覚にも近く、登場人物と私達観客の距離は、知らずのうちに無くなり、彼の友人の一人のような目線になっていることに気づく。
生きることは常に未知のテーマに向き合うこと、たまにはその前で途方に暮れたり、考え込んでしまうこともあるのが人間だとしたら、この物語から最後にプレゼントされるワンフレーズを思い出して見るのも悪くない。きっとそんなとき、人生の初心者へちょっとの手助けをくれたり、背中を押してくれる人は誰の周りにも必ずいるはずだから。
オマケ:オヤジ鑑賞者としては、ちらりと見せてくれるメラニー・ロランのかわいいおっぱいにも1800円払った価値を見いだすのでございます。
2012/2/9 チネチッタ川崎にて
マイク・ミルズ監督の代表作。
琉神マブヤー [いんぷれっしょん]
今、日本で、ロードショー作品を劇場鑑賞すると、大人は1800円也を支払うことになる。最近は集客増のため、色々な割引きを設定しているところもあるが、基本はそうだ。1800円という金額はどのような価値があるか考えてみると、例えば吉野家の牛丼なら、並盛り4.7杯食べられて、ビッグマックなら5.6個が買える。ユニクロではカジュアルなシャツがおよそ一枚買えるし、サッポロ「麦とホップ」なら、350ml缶17本くらい買える。 つまり、デフレ日本においては、そこそこの価値を持つ金額なのだ。
通常1800円也を払って劇場で映画を見るとき、およそ二時間を消費し、対価に見合う感動や充実感がどのくらい得られるかという計算を多少はするであろうというのが、消費者としての心理であるとすれば、多少興味があるけど、一般料金で見るのはちょっとなーという曖昧な位置にいる作品も多々存在する。この「琉神マブヤー」は、まさにそのあたりにポジションを取る、とても微妙な作品だ。
2008年地元沖縄で放映されるや、老若男女おしなべて大人気を博したという当地ヒーローの映画化。海の向こうの理想郷・ニライカナイからやってきたマブイ(魂)の戦士…勇ましいルックスに似つかわしくない「ちむぐくる」を持つ心優しきヒーローが、沖縄人の美徳「七つのマブイ」を守るため、悪の軍団マジムンと戦うべく奮闘する・・・・。
全体の雰囲気はBマイナス級といったところだろうか? 沖縄独特のゆるーい空気に満ちて、アクションヒーローものながら、全編沖縄独特のイントネーションやたまに字幕付き!うちなーぐちで語られるセリフは、勇ましいはずの戦闘シーンにさえ緊張感がほとんど無く、俳優と呼ぶにはあまりにもへっぽこな出演者達の、学芸会レベルの演技にも脱力感満載。登場するヒーローや悪の怪人達も、昭和のデパート屋上で繰り広げられたショーとほぼ同じレベルのキャラクター。 エキストラとして多く登場する地元の皆さんへの演技指導も、わざと外しているのではと勘ぐりたくなる。
設定も大変にぬるく、おばぁにマブイグミされヒーローとなった主人公は、敵を前にしても尻込みばかり。悪の軍団マジムンたちが、うちなー征服のために動くのは昼間だけ、日が傾けば毎夜飲めや歌えやの暢気三昧ときたもんだ。
しかし、なぜかそれらがすべて気持ちいいから不思議だ。私は沖縄とは縁のない人生を送っているから、その魅力をほとんど知らない。友人知人の中には、まとまった休みが取れた場合には、迷うことなく沖縄に行くというスタンスを崩さない者が何人かいる。いつも同じところばかり行ってどこが面白いの?と、半ば冷ややかに見ていた自分の曇った目が今は少し恥ずかしい。
乱開発や基地問題、成人式で暴れる若者達、沖縄の動向が私達に伝わるのはネガティブなテーマが多いけれど、うちなんちゅーすべての体に宿るという七つのマブイ「勉、健、食、勇、忠、忍、情」は、誇り高き琉球の人々のアイデンティティそのもの。 そして物語中たびたび登場する「ちむぐくる」、欧米式のグローバリゼーションに、ややくたびれてきた日本人の心を癒す大切なキーワードかも知れない。、うちなんちゅーに学ぶべきことはどうやら多そうだ。
大枚1800円の価値を見いだすのはちょっと難しいかもしれない、言わば変化球作品。 しかし、日々慌ただしく暮らすやまとんちゅもひととき力を抜くためリゾート空気を味わいに行ったと思えば格安・・。あるいは割引き鑑賞価格、1000円程度なら見てやってもいいかなと思える設定そのものが、作り手が狙ったコン セプトとしたら、沖縄恐るべしと言う評価も在りか(笑)
【ちむぐくる】沖縄の方言で「人の心に宿る、より深い想い」を指すと言われ、漢字で表すと「肝心」となり、標準語の「肝心(かんじん)」とは 異なる意味を持ちます。
”うちなんちゅの心”、””真心”、”思いやりの心”、”心の奥底から湧き上がる身体全体で相手を思う気持ち”等々の意味があります。[うるま市の公式HPより]





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